哲学

「幸運なら、50回の収穫の喜びを味わえる」と、ブドウ栽培に関わる人々はよく語ります。 一つの苗木が育ち優れたワインが誕生するまでには何 十年もかかりますが、ブドウ栽培に関わる人々には、毎年、秋の収穫の喜びが訪れます。 父の代まで遡れば、少なくとも50回以上の収穫を重ねてきました。その年ごとに、喜びはもちろん、苦労や失敗の苦い思いも混じっていたに違いあ りません。今私が受け継いでいるBatičワインの伝統とは、こうした収穫の喜びと苦労と知恵が何世代にも亘って積み重って結実したものであると 私は考えています。 1980年代に入って、近代化の失敗から学び、原点に立ち戻って自然に向き合うことを決めたBatič家でしたが、その取り組みも失敗の連続で、まる で躓き転ぶ幼な子の初めての歩みのようでした。しかし、私達は、自らの決断を信じ、自然と向き合う姿勢を崩さず、自然が語る言葉を学ぼうと努力 しました。 そして遂に、自然が語る言葉を理解する術を得たのです。 父は、自然が語る言葉―ブドウを栽培する者にとっては、いわば母国語―を、 子どものころからずっと私に教え続けてくれました。 ブドウ畑を訪れることは、私にとって友人を訪ねることと変わりません。 なぜなら、私には自然が何を望んでいるかがわかり、自然も、私が何を願っ ているかを知っているからです。